newtakuyaの新時代社会学

金にならないクソ記事発表会

日本人の読解力低下にスマホは関係あるのか

読売新聞の「読解力が危ない」シリーズが面白い

今週の読売新聞の朝刊の一面記事で「読解力が危ない」とコラムが掲載されているのだが、これが面白い。

若年層の読解力の低下。

実に嘆かわしいではないか。

そして、その一因として挙げられているのがやはり「スマホの普及によるSNSでの短文でのやりとり」だ。

それについて、散漫であるが私の見解を述べたい。

 

読書感想文とかいうクソ

読書とは本来「知の探究」「他者の思想に迫る」など、とても楽しい行為なのだが、教育機関はそれをクソつまらないものへと変える。

その一因を担うのが「読書感想文」とかいうクソ課題だ。

 

これは本質的には

教師に向けた読書感想文でしかない。

こんな教師の気を遣うだけの感想文で楽しい読書ができると思うのか?

教師に評価を得るために適当に本を読んで、適当にあらすじとどこにでもあるような無難な感想を書くことが読解力向上や読書への好奇心に繋がるとでも思っているのだろうか?

 

その点、ブロガーの読書感想文は実に面白い。

本を読みたくなる、何かをもっと知りたくなる上手な文章を書ける人間がたくさんいるのだ。

 

教育機関の石頭どもに告ぐ。

子供に読書して欲しけりゃ、
てめえらで読書の楽しさを子供たちにプレゼンしてみろ

 

 

そもそも「長文」はそんなに偉いのか?

「長文」とはその必然性がゆえに長文たりえる。

世の中には無駄なことが多すぎる。

 

それ、本当に長文である必要あるの?

って文章がありすぎる。

長けりゃいいってもんじゃない。

まあ、これははっきり言って私の文章にも当てはまる。

 

長文は長文である必要性があるからこそ輝くものであって、一言で言えば済むことをわざわざ長ったらしい文で書く奴はただ読者のことを慮れないってだけの話。

 

 

難しけりゃ「偉い」という発想

そもそも新聞社は根本では文章レベルが高い(基準が謎)ことが偉いと思っている。

それは間違いではないと思う。

確かに読者としても解読不明の難しい単語の羅列が「ああ、要はこういうこと言いたいのね。それ○○で表現すれば済むじゃんw」と読解力が上がっていく喜びは快感だ。

だが、それは「難解であること自体が必要である」という文学作品や学術書に要求されるものであって、新聞に必要なものとはとても思えない。

多くの人が読むものである以上「わかりやすさ」が必要なのである。

それを「読者の読解力不足」と一方的に嘆き、読者に読みやすくするように努めないというのは、新聞社の自分勝手でしかない。

もちろん、新聞社としての矜持で一定の難解さを保つことはわかる。私もそれを新聞に求めている。

なんだかんだで「難しいものが読める俺かっこいいww」という快感は、文章を求めるものとしての根源的欲求にあるし、物書きにもそれはあると思うのだ。

だが、その一方で「ユーザー目線」を徹底的に追及しているインターネットメディアの存在を見ると、それが正しいとは到底思えない。

 

 

ところで読売新聞さん、私の読解力は何点でしょうか?

ちなみに私はこの読売新聞さんの「読解力が危ない」シリーズは、若者新聞離れをスマホのせいにしたいやつあたり的なものだと読み解いている。

「我々の崇高な長文を読める奴が少なくなるのはけしからん!」と言っているのですよね、とてもよくわかります。

編集手帳の時事ネタを古典文学と絡めて語る独特の文章大好きだ。底知れぬ教養とインテリジェンスに満ち溢れた皮肉を醸し出している。

 

一方で、世間の大体の連中は

  • 結論だけ書いてある記事
  • 即物的な記事
  • 楽しい記事
  • 読みやすい記事

こういった、とにかくわかりやすいものばっかりを求めている。

 

まあネット民の私からすれば、全員が一定以上のリテラシー能力を持てばFAXや不要な印刷物も消えるし世の中はもっとよくなる、と思っているんだけどまず無理。

だって、全員が賢くなれるわけないもん。

 

新聞も同じじゃないか?

世の全員が新聞読み解ける能力身につけるなんて無理。

 

長文を読み解けなくなるのなんて、時代に応じた進化でしかない。

今まで頭でっかちが長文でしか説明できなかったものを簡単に解釈して発信できる人も増えているんだし、SNSでも幼稚な短文でも十分意志疎通ができるようになってきている。

もうこれは「進化」と解釈して受け入れちゃおう。

どんなに長文で美しい言葉を並べたラブレターよりも、魂を込めた「好き」の一言の方が伝わることだってあるじゃない?

 

我々は読解力などなしにわかり合えるニュータイプになりつつあるのだよ。

 

 

でも日本語が絶望的レベルの子もいるよね~

ちなみに新聞に例として挙げられているラインのやりとりは、想像を絶する幼稚な文章が掲載されている。

えこっわ!(笑)

あの怖いって言ってた人?

そう!その人!くっそ怖い
こゆうタイプまじ無理だわ(笑)
きょういんの?

 

いや、こういうノリのやりとりはわからんでもない。

文脈的にも、以前話してた身近な怖い人の話題というのもすぐわかる。

わかるけどまじ無理だわ(笑)

 

こゆうタイプまじ無理だわ(笑)
→固有タイプ!固有結界使える系の人が生理的に無理なのかな?

きょういんの?
→教員のものかな?

 

こういう文体ちょっと生理的に無理。

流石に同じ義務教育受けた身としてまじもぅ無理。。。

 

ということで新聞社が嘆きたくなるのもわかる。

というか、同年代でこういうやりとりされて相手の文章レベルに合わせないといけない苦痛がまじもぅ無理。。。

 

 

まとめ

まとめるほどではない駄文を書き連ねてきたが、読売新聞は応援している。

日本国民の読解力を取り戻し、
国民の文章力を上げ長文を読み解く快感に目覚めさせる

という、社の方針は私としても是非とも応援させていただきたい崇高な思考だ。

 

ただねえ、

「脳が発達する18歳ぐらいまではスマホ使用を制限し、しっかりした文章を読む環境を作るべきだ」

とかいう、クソみたいな文章は書く必要なかったと思うんだよなあ。

 

まるで「スマホじゃしっかりした長文は読めない」と言っているようなもんだし、スマホ使って新聞記事よりもしっかりとした長文書ける学生ブロガーなんかうじゃうじゃいるよって話。

こういう余計な一言が新聞社の怠慢であり、無駄な長文と言われる根本問題だよ。